ロジパラさんを目指してた!

はてな日記で書いてた頃の冗談日記

左手にも教えなくちゃいけない。

聖書より

「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。(中略)施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない、あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことをみておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイによる福音書6章)

 良いことをする行いは誰かにほめてもらおうとしてするものではない。自分で言わなくても気づいてくれる人は気づいて評価を上げてくれる。逆に自らで宣伝するのはその行いの価値を下げることになりかねないのである。だから右手で行った善行は左手にさえ教えてはいけない、そういう教えだと思う。

 それは偽りである。少なくとも仕事では左手に宣伝しなくはならない。

 私は聖書の言葉がすばらしい言葉だと思っていた。自らの作業のついでに他の人がやるべき作業も行っていた。担当が決まっていない作業の分担をミーティングでかけるのが面倒でついつい自分でやってしまっていたのである。そうしたらどうだろう。感謝はされなかった。私がやるのが当たり前だと思われていたのである。

 オトコは背中で語るものだと思っていた。有言実行ならぬ無言実行。自分で語ることはしない。誰かが気づけばいいと思った。誰に言うことなく黙って作業をやっておいた。それに対して周囲に感謝はない。次回から私がやることが当たり前になっていた。

 私が誰にも知らせないで作業をやったことで思いもよらない余波があった。周囲が私と同じ立場の人間に私と同じように作業することを求めてきたのである。私は余計なことをしたのだ。他の部署と連携して仕事を行うとき、その作業をこちらがやるのが当たり前になってしまっていた。

 相手にしてみれば大義名分ができていたのだ。長者番付に乗るような人や出世意欲が異常に高い人はどうか知らないが、名もない会社員は仕事では楽がしたい。理由をつけて他にまわせる作業は自分ではやりたくないのである。その理由を私が作ってしまった。

 それは私の意図とは違った。

 どうも私には誰かに評価してほしいという下心があったらしい。自分で言わずに誰かに言わせたほうが私の株が上がるといううす汚い算段。右手がやったことを左手に教えず、左手が気づけば、右手を見直すと思った。算段は見事にはずれた。そして悪いほうに結果は転がった。私が不利になるだけならまだいい。周囲まで巻き込んでいるのは計算外もいいところだ。

 他の作業を勝手にやらない。気づいたらミーティングで分担を決める。仕事を集団で行う作業のルールとして基本である。右手がやったことを左手に話すのは評価させるためではない。報告という義務だ。