ロジパラさんを目指してた!

はてな日記で書いてた頃の冗談日記

ほうれん草哀歌

僕のネタではありません。昔のラジオで聞いたネタを通勤の電車の中で思い出して一人で笑ってました。

 

(フリ)

 まだ終戦して間もないころ、モノがなかった、食料がなかった。食卓には質素なものしか並ぶことがなかった。当時幼いオレにだって母が苦労しているのが分かった。日本がどういう立場に立たされているのか、大人達がどれだけの不安を感じているのかなんて分からない。ただ母が寝る間を惜しんで働いているのは大変なことだというのは理解できた。子供だったオレが母に深く感謝するのは先のことだけど、母にわがままを言うのはいけないことだと思っていた。

 その日の夕食はごはん(といっても白米ではない)と具のない味噌汁。おかずはほうれん草のおひたしだった。

「ごめんねぇ、こんなものしか食べさせられなくて。苦手だったよねぇ」

 母がすまなそうに言う。だけど疲れている母に文句を言うことができるだろうか?俺はほうれん草が苦手だった。だけど笑顔で食べた。俺が今できる一番の恩返しだと思ったから。

(オチ)

 結果、オレがほうれん草が好きだとお袋は勘違いした。まっさかその後、週に一度はほうれん草を食べることになるとは思わなかったなぁ。残しちゃお袋に悪いから食べたけどさ。

 

続きです。(フリ)

 高度経済成長が叫ばれるようになったころ、オレは社会に出て働く歳になった。故郷を離れて就職し、人並みに給料をもらうようになった。同僚と酒を飲むようになり、苦しい時代は過去のものとなった。

 大人になってもほうれん草は苦手だった。食べられないわけではない。だけど食べたいわけでもない。無理して食べれば食べられるもの。それがオレにとってのほうれん草だった。買った弁当に入ってたら残したし、居酒屋でお通しとして出てきたら友人にあげた。

 やがて一人の女性と恋に落ち、結婚した。料理好きだという女房は新婚初日に腕を振るってくれた。洋食が得意だという女房の料理は味付けも完璧で、繊細な舌を持っているわけではないオレだってレベルの高い料理だと分かった。オレにはもったいないぐらいだった。

 テーブルの上にはヨーロッパ色の料理が並ぶ。それは幼いころ母と囲んだちゃぶ台とは別世界だった。どちらの方が良いという問題じゃない。相手が俺のことを考えながら夕飯を作ってくれる、それはうれしいことだ。

 ヨーロッパ色の料理。その中に幼いころから見慣れたものがあった。母に余計な気苦労をかけないために無理して食べていたもの、ほうれん草のおひたしである。

(オチ)

 嫁はオレの視線に気づいた。

「あなたの大好物だってお義母さんから聞いたの」

 満面の笑顔を浮かべる嫁に対して「ごめん、実は苦手なんだ」って言えますか!?食ったとも、食ったともさ!!食べるオレを見てうれしそうにしている嫁に「おいしかったよ」以外の言葉が言えますか!?

 その後、記念日のたびにほうれん草のおひたしが必ず出てきます(涙)