お前が病気になったら誰も分かんなくなっちゃうんだよ、入院している時も仕事の電話がほしいかい?」
一人で作業を抱え込む人に対する周囲の言葉は優しい。作業を抱え込めるほど能力があることを認められているからである。
世の中には与えられた作業を全て一人で抱え込む不思議な人種がいる。部下を一人二人つけられても、部下を遊ばせておいて自分でやってしまうのである。なぜそうしてしまうかはいくつかの要因がある。
初期段階として
・彼の中では頭の中に青写真が全てできていて、それを言葉や図形で伝えたり、文書にするよりも自分でやってしまったほうが早いと思ってしまう。
・また彼本人の言葉が足らずに指示が完璧ではなく不完全なものが部下から上がってくるのもいやなようだ。
・部下に任せて、大まかには正しい作業ができたとしても些細なところが彼のやり方と違っている。それを不快に感じるのだ。
・さらに三人分のスケジュールを一人でこなせてしまう。彼はワークホリックなのでみんなが定時で変える中、あわてて終電に飛び乗るような生活だったとしても苦にならない。
結果、追加で作業をしなくてはならないときに、資料が何もなく作業内容も入り組んでるため、やはり彼が自分でやってしまうのが一番早くて正確になってしまい、その先の作業も彼がやることになる。
このころになると周囲の意識は
・「彼に聞けばすぐに返事が返ってくる」となり、生き字引とインプットされる。
・彼の部下はさらに遊んでいて、会社をなめ始める。
・先に帰る周囲も当初は悪いなと思っているが段々と彼をおいて帰っても平気になる。
・周囲は居酒屋で「彼は要領が悪いんだよ、仕事している自分が好きなんだよ」と話す。
一方、彼の方は担当部分を全て一人でやっていることが自分のアイデンティティになり始める。
作業を抱え込む人はプログラマーとデザイナーに多いようだ。プログラマーは説明するなら作ってしまったほうが本人が楽らしい。デザイナーは微妙なセンスが違ってくると聞いたことがある。分担できる作業を一人で抱えている人は他の職種でもいるのではないだろうか?
彼は本当に有能な人材か?答えはノーだろう。端的にいえば冒頭の言葉になる。関係者全てにデメリットが多い。
まず、彼。上記にも書いたようにその作業が自分のアイデンティティになってしまう。仕事を人に振ることが仕事をとられることになってしまうようで怖くなってしまうのだ。自分の価値がなくなってしまう気がするのだ。結果、依怙地に一人でやり続けることになってしまう。いい加減に仕事をするのは論外だが仕事以外が自分の視野からなくなってしまうのは不幸なことだろう。世の中には楽しいことが一杯あるんだから。
さらにもう一つ。一人でできることなんて、たかがしれている。彼の中で仕事の広がらない。せっかく部下を与えられたのだから信用し任せないと彼の成長もなく、今後も大きな仕事をすることはないだろう。ワークホリックになるような彼なのだから仕事が次のレベルにステップアップしないのは苦痛だろう。
そして部下。年相応の経験をしないまま修行時間を過ごしてしまう。社会を甘く見て同期と差がつく。世の中への認識を改めて差を埋めるには相応の努力が必要になるだろう。一つ間違えると自分の作業を人に押し付けるように成長するかもしれない。指示待ち人間が出来上がってしまうかもしれない。
さらには周囲。これは冒頭の言葉に尽きるだろう。彼がいないと担当部分がまるきり分からなくなってしまう。現実問題、彼がミーティングに出てしまったり移動中で連絡ができないと困るのだ。
どんなに有能な人でもたくさんの人たちで行っている仕事でスタンドプレーをするのはいけないらしい。私がそんな立場になるのは考えにくいが、もしその時が来たら意識したいと思う。